じゅんさいについて 2019/12/6更新

グリルじゅんさい

洋食屋として、京都に開店したのが1970年1月1日。
現在の場所、京都宝ヶ池に移ったのが1978年3月ですから、40年近くなります。

ご飯とお味噌汁、それとビーフカツとか、クリームコロッケなどの洋食屋です。
ハンバーグ、シチュー、クリームコロッケなどはもちろん、 デミソースやドレッシング、 タルタルソースも自家製で、 化学調味料やマギーブイヨン等のだしの素を使っていません。 もちろん、お味噌汁の出汁も削り節で取っています。

高級なものや、むずかしい料理もないので予約は受け付けていません。 来て頂いた順番に席についていただいています。
あまり騒がれると困りますが、小さなお子さんを連れでも大丈夫です。 ただし、お子様メニューは特別に用意していません

現在は代替わりをして、二代目の私が料理を作っています。 素材や調理法を美味しくなるように少しずつ改良していますが、基本の味は変えていないつもりです。
私自身は以前に比べておいしくなっていると思っていますが、味には好みがあり、店にもブレのようなものがあり、いつも最高とは限らず、残念な結果に終わることもあるようで、苦言を聞くこともあります。

_MG_3057お店のこと

営業時間:
11:00~15:00( last order 14:30)

禁煙:2006年6月から全席禁煙になりました、ご協力をお願いします

定休日:水曜定休 祝日の場合は翌日休み

席数:28席(カウンター席はありません)

駐車場:店舗の前に4台

カードの使用:クレジットカードの取り扱いはしておりません

場所:京都市左京区岩倉南大鷺町22
電話番号:075-721-1035

 

 京都いいとこmap掲載動画 YouTube

「じゅんさい」のこと

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この店の名前としての「じゅんさい」

先代(現在の店主は2代目です)が小学生くらいの頃、といいますから戦後すぐのお話です。
当時、宝ヶ池には「じゅんさい」がたくさんあって、それを箱船に乗って採っていたらしいのです。洋食店をこの地で開くにあたり、その当時のことを思い出して「じゅんさい」と名前をつけたようです。

けれど、その当時に宝ヶ池にあった「じゅんさい」はすでに三十年以上前に絶滅して当時の面影はすでにありません。

周辺には京都国際会議場が建設され、最近では宝ヶ池プリンスホテルやイベントホールなども出来ました。外周1.5kmほどの宝ヶ池(右写真)は、この池を取り囲む山々と共に公園として整備され格好のジョギングやマラソンコースとなっています。
近くの深泥ヶ池に少しだけ「じゅんさい」が残っていますが、この細々残る「じゅんさい」も周辺の開発により絶滅が危惧されています。

junsai植物としての「じゅんさい」

『万葉集』の時代にはヌナハもしくは、ヌナワ(沼縄)と呼んだようです。ヌナハは沼の縄の意で、根茎が縄のように長く伸びているから。古事記では初夏の季語になっています。

それが中世以降、中国での名「蓴」に「菜」を付けてジュンサイと現在のように呼ばれるようになったようです。

睡蓮科の多年生水草。日本では本州と北海道の清水の豊かな水深の浅い池沼などに自生しています。新芽はゼラチン状のぬるぬるで覆われていて、まだ開いていない若い葉や茎を6~7月頃収穫して食べます。西アフリカやオーストラリアの温帯地方にも生育しているそうですが、食用にしているの は日本と中国だけです。

湖沼に小船を浮かべてじゅんさいを採る風景は、初夏の風物詩になっていますが、今では中国産のじゅんさいが輸入されるようになっています。

ことばとしての「じゅんさい」

ジュンサイは、ぬるぬるしてつかみにくい。
大阪では、≪つかみ所がなくて調子のいい≫、≪ぬらりくらり≫、あるいは、≪どっちつかずのようす≫を「じゅんさいな」、そんな人を「じゅんさいはん」といい、さらには、いいかげんなようすや薄情なことを意味するようです。
それでも時に「あの娘さんはじゅんさいやから、みんなに好かれるわ」のように、従順の意味で、ほめことばとしても使われる地域もあるようです。

ことばでもまったく、「じゅんさいな」感じでつかみ所がありませんね

eiketsunosasa宮沢賢治の永訣の朝の中に現れる「じゅんさい」

永訣の朝

けふのうちに
とほくへ いってしまふ わたくしの いもうとよ
みぞれがふって おもては へんに あかるいのだ
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)

うすあかく いっさう 陰惨(いんざん)な 雲から
みぞれは びちょびちょ ふってくる
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)

青い蓴菜(じゅんさい)の もやうのついた
これら ふたつの かけた 陶椀に
おまへが たべる あめゆきを とらうとして
わたくしは まがった てっぽうだまのやうに
この くらい みぞれのなかに 飛びだした
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)

蒼鉛(そうえん)いろの 暗い雲から
みぞれは びちょびちょ 沈んでくる
ああ とし子
死ぬといふ いまごろになって
わたくしを いっしゃう あかるく するために
こんな さっぱりした 雪のひとわんを
おまへは わたくしに たのんだのだ
ありがたう わたくしの けなげな いもうとよ
わたくしも まっすぐに すすんでいくから
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)

はげしい はげしい 熱や あえぎの あひだから
おまへは わたくしに たのんだのだ

銀河や 太陽、気圏(きけん)などと よばれたせかいの
そらから おちた 雪の さいごの ひとわんを……

…ふたきれの みかげせきざいに
みぞれは さびしく たまってゐる

わたくしは そのうへに あぶなくたち
雪と 水との まっしろな 二相系をたもち
すきとほる つめたい雫に みちた
このつややかな 松のえだから
わたくしの やさしい いもうとの
さいごの たべものを もらっていかう

わたしたちが いっしょに そだってきた あひだ
みなれた ちやわんの この 藍のもやうにも
もう けふ おまへは わかれてしまふ
(Ora Orade Shitori egumo)

ほんたうに けふ おまへは わかれてしまふ

ああ あの とざされた 病室の
くらい びゃうぶや かやの なかに
やさしく あをじろく 燃えてゐる
わたくしの けなげな いもうとよ

この雪は どこを えらばうにも
あんまり どこも まっしろなのだ
あんな おそろしい みだれた そらから
この うつくしい 雪が きたのだ

(うまれで くるたて
こんどは こたに わりやの ごとばかりで
くるしまなあよに うまれてくる)

おまへが たべる この ふたわんの ゆきに
わたくしは いま こころから いのる
どうか これが兜率(とそつ)の 天の食(じき)に 変わって
やがては おまへとみんなとに 聖い資糧を もたらすことを
わたくしの すべての さいはひを かけて ねがふ

賢治は、二つの御影石の置いてある場所へやって来て、その上に危く立ち上り手を伸ばして、松の枝に降り積んだみぞれを二つの陶椀の中にそっと移し入れる。
みぞれ、それは雪でもなければ、水でもない、雪と水との二つの相を持ったもの、天上的なものと地上的なものとの二相系を保っているもの、
生死の迷いをみぞれの中に払い落としてきた兄からうけとった二椀の雪は、
賢治の祈りを待つまでもなく、もうすでに兜率天の百味の飲食(おんじき)を入れた器は 青い蓴菜(じゅんさい)の もやうのついた ふたつの かけた 陶椀であった